Seiwa University

大学紹介

自己点検・評価委員会 第1回報告書(2000年1月)

清和大学 新しいアカデミーへの挑戦

自己点検・評価報告書1999(抄)

「自己点検・評価委員会」への期待

君津学園理事長 眞板益夫

私の生まれ育った房総の地に、年来の宿願であった清和大学を開設することが出来たのは、数多の関係者各位の御尽力によるものと、心から感謝申し上げたい。この感謝の念を少しでも形に表せるのは、育成するわが大学への絶えざる批判精神でなければならないと考えている。「これで良いのか、もっと良い方法はないのか」と自問することが、大学人としての責務と私は考えている。

かような大学自治の根幹を成す組織として、大学の「自己点検・評価委員会」が開学当初より設置され、不断の点検・評価活動を行っていることに、私は心強い信頼を置いている。

清和大学は開学してすでに六年を経て、二回ほど卒業生を世に送り出した。しかし社会情勢の変動は激しく、当初の大学設置構想と時代の要請、更には時代の求める教育像とのすれ違いをどのように調整し、君津学園本来の教育理念である「真心教育」の精神にそって、時代の求める「社会に役立つ人間育成」の実現を目指すか、課題とするところは、日々新たに逼ってくるのを実感する。

私は近い将来において、清和大学が「大学基準協会」の会員となり、大学の自己点検・評価を通して、我が国の学問水準の向上と教育界全般への寄与を可能にするものと、大いに期待している。その核心を為す本委員会の活動への期待は、まことに多大なものがある。関係各位の期待に充分こたえるべく、更なる点検・評価活動を切望するものである。

「自己点検・評価委員会」に望む

清和大学学長 利光三津夫

清和大学は、眞板理事長の十年の努力を経とし、木更津市、及び周辺都市の厚い期待を緯として創設された法学部法律学科の単科大学である。本学は、現時、開学六年目をおえつつある。諺にいう如く、もの事の総合反省期間を三年とすれば、本学は二度目の反省期に達しつつあるわけである。本学教育の目的である実学教育が、学生に徹底しているか否か、教員の研究活動に支障なきや否か、反省の場において論ぜられるべきことは、きわめて多岐にわたっている。

したがって、自己点検・評価委員会が、今度開学六年間に蓄積した成果を、一書にまとめ、公表にいたったことは、かかる議論に、基礎を提供するものであって、論議そのものをみのり多きものとすること眞に大なりといわざるをえない。吾人は、長期間にわたって、資料の採集につとめ、それに冷静、公平な評価を下しきたった同委員会に、心より感謝の意を表する次第である。

教育、研究の両組織の改革には、終わりということがない。仍って、自己点検・評価委員会の作業にも、完了ということがない。同委員会が、更に不断の努力を重ね、吾人に反省の資を与え、大学のさらなる発展に寄与することを、ここに翹望しておきたい。

はじめに

東京湾を望む房総の地に、研究と教育のアカデミーを開きたいとの内外の声にこたえて、清和大学が開学したのは1994年4月のことであった。それまでの設立準備期間に描かれた夢が、願いどおりに実現するであろうかとの思いを胸に、新しい大学の教員、職員、それに学生も、新しい大学の誕生をともに支えあい、この4年間をひたすら理想のアカデミーの実現に努めて、ようやく本年春、第一回卒業生を社会に送り出す日を迎えることができた。

この報告書はかような揺籃期における新しい大学の可能性と、その現実化への努力に対し、いささかなりとも貢献しうるようにと、自己点検・評価委員会として可能な限りの情報をもとに、大学のさらなる明るい発展を期待してまとめたものである。

限られた時間と人間による仕事であるから、不備もあろうかと思われる。報告書へのさまざまなご批判も予想されるが、明日への一石としてお許し頂きたいと思う。

1998年6月

この報告書をまとめようとの当初の目的は、本学が新たな挑戦を目指して開学して以来、完成年度に至るまでの期間に、実現を期して抱いた大学設立の趣旨・構想と、その実際の運営における、成果とすれ違いの在りのままの姿を、世の関係者にご報告し、建設的にご批判を頂くことであった。しかし流動の激しいこの時代における初版の事情のため、報告書を公刊する機会が遅れたことをお許しいただきたいと思う。

今回ようやく刊行するに際しては、本学の学事運営にたいする点検・評価への基本構想の骨組みは、可能な限り記録に留めるようにと努めた。しかし98年春の原稿作成後の状況に多少なりとも変動を経た項目については、最新の情報に基づく資料を収め、今回ここに報告書を公開する意義に添うようにと図っている。

かような事情にご理解を賜り、本書への忌憚ないご高評をいただけますよう切望する次第である。

2000年1月

清和大学自己点検・評価委員会

委員
清和大学 学長
清和大学 事務局長
教授 小名木榮三郎(委員長)
教授 浦山太郎
専任講師 吉田一雄

第1章 清和大学の開学

1 開かれた大学を目指して

明治時代から我が国の文教政策は、欧米先進国の文化・文明を取り入れることに努め、国家の中枢をになうエリートを育成してきた。しかし次第に大学への門戸が開かれ、広く社会の指導的人物を数多く世に送り出すようになってゆく。軍国主義の暗い時代を耐え忍んだ後、第二次世界大戦に敗れた我が国は、アメリカ型教育を取り入れた新制大学の教育システムのもとで、新生日本の基幹となる人物を、大量に育成してゆくことになった。大学新設のブームが戦後の日本を特徴づけた時代であった。

しかしこのような多数の新制大学が我が国の教育状況を大きく変えていったが、社会の変貌もまたそれ以上に著しく、さらにまた世界の政治、経済、文化の変化にも十分にこたえる状況ではなくなってきた。新しい時代の求める、地球規模の変化に対応できる国際的要請と、我が国の大学教育の実状との間隙を改善する必要が、次第に高まったのも当然のことである。

このような大学を取り巻く社会状況の大きな変わりように対応するため、1991年大学審議会は、大学独自の個性を生かすよう、大学設置基準を改め、現在の大学教育制度に抜本的改革をおこなうように答申した。文部省はこの審議会の勧告に従って、従来の画一的な、厳格な運営指導を見直し、大学が独自のカラーを打ち出して個性的な教育を実現するため、大学設置の基準を大綱化する方針を採るようになった。

これは戦後一貫して大学が増設されてきた流れに対し、量の広がりよりも質の課題を、各大学の個性に基づいて解決して行くことへの、大きな変化をもたらし、個性豊かな、しかも時代の求める新しい大学への分岐点ともなるものであった。

かような社会的背景のもとに、木更津市に新しい法学教育の拠点となる大学を開設しようとした君津学園は、1980年代後半にはすでに大学設置準備委員会を設け、清和大学の開学を目指した。『設置の趣旨』には次ぎのようにその意義を述べている。

「地元千葉県、木更津市、周辺市町村が強く要望する、地域における文化の中枢の一つとして、当該地域の文化・産業の発展に寄与するために」、四年制大学を設立し、特に「技術・産業の変化に対応できる法学系の人材の育成を求める地域社会の要請」にこたえるべく、法学部設置を決意するにいたったのである。

これはまた本学園創立者の、「人間教育を重視する教育理念」によって支えられ、「地域社会のいっそうの発展に貢献できる総合学園」を実現する機会ともなった。新しい清和大学は、すでに地域に定着している清和女子短期大学、木更津中央高校、市原中央高校、短大付属高校、短大付属3幼稚園とともに、君津学園の重要な一翼をになうこととなったのである。

このような地域社会の要望と、学園の年来の願望が一致して生れた清和大学の魅力といえる、「開かれた大学」構想と「時代の要請にこたえる独自の法学教育」は、どのようなプログラムのもとに具体化されたのであろうか。開学期の主な構想をみると、次のような特色をまず取り上げるべきであろうと思われる。

  1. 社会人教育を視野に入れた昼夜開講制
  2. 教員、学生の要望に沿う前期・後期セメスター制
  3. 時代の要求にこたえる実学中心の法学教育
  4. 国際化時代に対応できる外国語教育の充実
  5. 大学への門をオープンにする多様な入試制度

これはいずれも、長い歴史を誇る我が国の各大学が、時代の要請にこたえる「大学改革」の主要メニューとしてとりあげ、新たな脱皮の目標とする新制度である。つまり清和大学はその発足にあたって、新たな体制に身を包んでスタートしたということが出来よう。

設立準備委員および関係者の協力のもとに、清和大学は1994年4月、法学部を持つ単科大学として、晴れて開学の日を迎えることができた。新設の大学に新入生を迎えて、大学の各部署の担当者は、十分に予定されていたこととは言え、日々新たな課題の処理に追われたが、当初は順調に滑り出すことが出来た。

初年度はまず新入生に対する適切な授業運営と、次年度入学生に対する多様な入試の円滑な実施に努めた。担当者の理解と協力によって無事にこの問題を乗り越えることが出来た。

開学と共に各種委員会制度を発足させ、大学の運営に対する教員の意見の反映と、教員相互の協力体制を緊密にするように図った。

現在では次の委員会が各年度毎に新たなメンバーにより構成されている。

学務委員会、教務委員会、学生委員会、入試委員会、入試運営委員会、 図書館委員会、自己点検・評価委員会、企画広報委員会;清和大学法学研究所・運営委員会、清和大学法学会・運営委員会

第3年度からは、卒業生に対する就職指導に本格的に取り組み、独立の部署を設けて就職情報を集め、学生の関心を高めるように努めてきた。また学園も大学担当理事を就職部長に任命し、積極的に多くの求人企業を開拓して、卒業時に95パーセント以上の高い就職率を達成することに成功した。近年の経済不況において、このような好成績を上げているのは、大学に対する一般社会の明るい期待として、大いに歓迎すべきことと思われる。

また学生の日常課外活動を促進するため、学友会組織を発足させ、文化団体、スポーツ組織の自主的活動を支援することになった。大学祭「清風祭」の運営にも中心となる核に育ってゆくことを期待したい。

2 自己点検・評価委員会の成立と活動

清和大学自己点検・評価委員会も開学と共に設置され、活動を開始することになった。まず委員会設置の趣旨および基本構想への理解を求め、そのうえで委員会規約の作成にあたった。さらに、自己点検委員会は多くの有名大学が加盟している大学基準協会とのコンタクトを取り始めた。戦後の新制大学ブームによって急増した各大学において、大学としての基準が緩むことのないよう大学の自己規制に長く努めてきた、この独立の協会組織に、一定の基準を満たして参加を認められることは、委員会としてなによりもまず当面の大目標とするところであった。この年1995年10月からは、協会の「大学評価」に関する年次説明会にも参加して、その基本とする評価の目的、および基準とするところに、いっそうの理解を深めるように努めている。また協会の推薦する自己点検資料を以後の点検業務にも、可能な限り利用することにしている。

自己点検委(自己点検・評価委員会を以下省略形で用いる)の大きな目標として考えられることは、大学の現状に対して不断の自己点検を行い、厳しく評価して、正すべき所を正し、新たな発展のためにその結果を報告書にまとめ、大学の運営に提言することであろうと思われる。

そこで開学3年目の96年以後は、この報告書の準備に取り掛かった。まずこのための基本方針を委員会で論議し、その具体的な方途を探り、完成年度を迎えるに当たって、教職員および在学生がどのように現状を理解しているのかをアンケート調査することにした。

調査の内容と結果については、資料として添付してあるのでご参照頂きたい。全体としては、各人各様にさまざまな意見が出され、当初の見込み通りとはいかない面もあるのも良く分かったが、しかし大学の抱える諸問題にたいし、積極的に、熱意と愛情を込めて建設的に意見を寄せてくれたことに、大いに心強いものを感じることが出来た。

第2章 大学の理念

1 真心教育

清和大学は、学校法人君津学園に属し、同学園は、このほか清和女子短期大学、同附属高等学校、同附属幼稚園3園、木更津中央高等学校、市原中央高等学校の7校計8校を有し、その歴史は、昭和26年の木更津高等家政女学校の創設、次いで昭和38年の木更津中央高等学校の創設以来ほぼ50年に及んでいる。その間、「真心教育」を建学の精神とし、人間形成を重視する一貫した教育理念に基づき、多くの人材を育成し、戦後日本の教育界において、地味ではあるが堅実な貢献をしてきた。

本学の教育目標は、次の通りである。
清和大学は、教育基本法並びに学校教育法の定めるところに従い、君津学園の一貫した教育体系の最高教育機関として、学園の教育理念とする「真心教育」に基づき徳性を陶冶しつつ、高度の教養を授けるとともに、専門の学芸を教授研究し、個性の尊重と社会的協同を旨とし、国内的、国際的視野に立って、地域社会の文化的、社会的発展に寄与する先見性と実践性に富む人材を養成することを目的とする。

急激に変化する現代日本の社会状況に主体的に対応して、方途を誤らない人材を育成することは、国家社会にとって焦眉の急であり、これにこたえて、清和大学は、人間性豊かな法学研究者と実践的専門家の育成を目指している。これによって、進展の著しい千葉県南部地域における大学進学へのニーズに応えるとともに、国、地方公共団体、企業等に優れた人材を送り、その発展に寄与し、さらに開かれた大学として、地域社会の人々に身近な生涯学習の機会を提供することとしている。

このような人材の育成の根本は、何よりも豊かな人間性の涵養、道義を尊重する良識ある人間づくりであり、そのために真心(まごころ)教育が中心に据えられたのである。真心とは、真実と愛の心であり、教育の神髄は「心の通い合い」にある。「己の真心をもって相手の真心をつき動かすこと」が教育の原点でなければならず、教育に携わる者は、「愛情と情熱」をもって学生、生徒、幼児に立ち向かわなければならない。法学を学んだ学生も、これを社会に生かす際には、何よりも人間の心の理解、特に相手を思いやる心で人に接することが肝要である。わが国の教育について、知、徳、体の総合的な教育がいわれるが、本学における真心教育は、まず人柄--徳、次に体力--体、第三に知育--知でなければならない。結局、真心教育の目指すところは、第一に「大いなる真実の自己に生きて、社会の良心たる人間になれ」、第二に「困難にくじけない逞しい人間になれ」、第三に「広く深く智慧と知識とを体現せよ」の三点に尽きるであろう。これによって、聡明、闊達かつ勤勉な人柄を形成し、人々の信頼を得る人間になることを目指すのが本学教育の基本である。

2 現代社会に対応する新しい法学教育

本学の発足に当たっては、まず、現代社会に対応する新しい法学教育の必要性が強調された。この視点は現在も変わっていない。すなわち、現代社会は、法によってその組織・運営が決定されるものであって、法を離れてその存在はない。そこに、現代化された新しい法学教育の課程を構成する必要性がある。そして、現代社会は、伝統文化を保持するとともに、国際化や情報化によって特色づけられる。これに対応する教育が新しい構想によって求められる。これを実現するために、基礎科目の中に、英、独、仏、中の言語圏文化論や情報処理、専門教育の基礎教育科目の中に、国際関係入門、情報法入門、英、独、仏、中の外国法入門が伝統的な憲法、民法、刑法以下の諸科目と共に設定されてきている。

さらに、社会に優れた人材を送るために実学教育、豊かな人間性育成の見地をもこれに合わせた少人数教育(1~2年次生に対する1クラス15人程度の基礎演習、3~4年次生に対する1クラス数人から十数人程度の研究会--いわゆるゼミナール)などが行われている。

3 社会に開かれた大学

本学は、千葉県南部における一般大学としては唯一のものであり、南部県民の本学に対する期待は大きい。そのために、後述のように、地元である千葉県や木更津市、君津市、富津市及び袖ヶ浦市から手厚い援助を受けてきた。この期待にこたえるために本学では、木更津市と共同して公開講座を開催し好評を得ており、さらにこれらの地元その他に講師を派遣して市の職員研修等に協力している。秋に開かれる学園祭にも地元の人々の参加が多い。これにとどまらず、今後とも地域のために門戸を開放し、社会に開かれた大学としての責務を果たすこととしている。

第3章 教育内容

(一)本学教育の特色
1 基礎法学教育の充実

法学研究の対象とする法は、現代社会においては多種多様なものとなっているが、教育の対象となっている法は主要なものとならざるをえない。このため法を自ら学修する必要性や方法をまず理解させることが必要となる。また、実定法を教育する過程においても、法の定義、法の目的、法学の学修方法などを教育することにより、多様な法に自ら対応する能力が育成されるものと考えている。

2 多様化する法教育ニーズへの対応

現代国家においては、法のはたす役割は大きく変化している。国家対個人の関係における法ではなく、個人間の関係においても法は公的な関わりにおいて大きな作用を行っている。また地方公共団体の活動も行政に対する住民のニーズの高まりに対応する中で重要性を増している。これらの観点から見れば法学教育の内容も大きく変化せざるを得ない。これからの法学部教育では国家公務員や法曹関係者を目指す教育とともに、地方公共団体や公的企業体(公営企業、第3セクターなど)並びに一般企業において法規範に関わる者を目指す教育が重視されなければならない。

3 国際化への対応

国際化に対応する法学教育は、従来の国際公法・私法の教育だけでは不十分である。それらに加えて、国際関係論、外交史、地域研究概論、宗教と社会(総合科目)などの科目を学習することによって、各国家・地域の状況を把握・理解することが可能となる。加えて、各地域の法を学ぶことにより真の国際化に対応する教育が可能であると信ずる。

4 情報科学と法学教育の結合

現代社会ではその多様化により、法令は著しく増大している。判例の数も膨大なものとなっている。また学説も数限りない。これらの法令・判例・学説の検索については、情報検索システムの基礎的知識の習得が不可欠のものといえよう。また、法的な問題解決のための論理操作については、法律エキスパートシステムによるトレーニングが必要と思われる。情報科学の修得はこれからの法学教育において不可欠のものと考えられる。

5 個別指導を通じての人間形成

従来の社会科学系の大学教育は、いわゆるマスプロ教育に流れる傾向にあった。本学は入学定員の少ないことと、豊富な選択科目を設定したことによる「小人数教育」に加え、基礎演習、卒業論文指導、外書講読演習など少数定員の科目を各学年に配当し、教員と学生とのつながりを重視した人間教育を実施して来ている。

6 法学教育に基づく社会観の育成

大学教育の終局的な目標は、その専攻した教育に基づく社会観の確立にあると言えよう。
法学部の教育においては、国家社会における法体系の中で、法を中心とした価値判断をなし得る能力の育成が要請される。そのためには実定法科目のほかに、法哲学、法社会学、法史学、法思想史などの科目の学習を重視する必要がある。

(二)教育課程の特色と評価と課題
1 教育課程の現状

前述の教育内容・方法の基本的視点に沿って、現在の教育科目と単位数は、平成12年度において次頁以下の表のとおりとなっている。

ここでは、全体の教科を、まず基礎科目と専門教育科目に分かち、基礎科目は、さらに基本科目、体育及び外国語科目に、専門教育科目は、さらに基礎教育科目、演習、基礎・公法、外国法、民事法、商事法、企業法及び隣接分野科目に分けている。

この様な科目構成は、本学の設立の際、全教育課程を一般教育科目と専門教育科目に分かち、前者は、人文、社会、自然の3分野に、後者を【1】基礎演習及び専門演習、【2】六法などの基礎法律科目、【3】税法、地方自治論、経済・経営学、外国法、比較政治学といった関連科目等に分ける構想を樹てたことにおおむね対応したものである。なお、以上の分類は、平成3年に大学設置基準が改正され、従来の一般教育、外国語、保健体育、専門教育という科目区分や、その区分ごとの卒業要件となる単位数に係る規定が廃止され、各大学がそれぞれの理念・目的を明らかにし、特色ある教育研究活動を展開することができるように基準の大幅な大綱化が行われたことにも対応している。

また、現在の教育課程は、1年次から憲法や民法などの専門教育科目を履修することができるようにして、基礎科目の間にこれらを組み入れる、いわゆる楔形履修方式をとっている。

これらの科目の履修については、単位制の建前から、編入学の場合を除き、本学に4年以上在学し、基礎科目で外国語10単位を含めて38単位を取得し、専門教育科目で次表に定める各科目ごとの必要単位等の合計84単位、さらにすべての分野から16単位を取得し、合計138単位以上取得することが卒業の要件となっている。

2 教育課程の特色

(1)基礎科目体系の特色

a カリキュラムの特色

基礎科目の中の基本科目は、人文・社会・自然、各分野の科目と複数の分野にわたる科目とから成る。これによって広い視野と豊かな人間性を持つ学生を育成することを目的とする。現代の良き市民となるためには、社会を広い角度から総合的に分析する眼を養う必要があり、基本科目は低学年の履修を主とするが、また専門教育科目とも並行して学ぶべきものと考えている。

b 外国語科目

徹底した外国語教育を目指し、読む、聞く、話す、といった基礎能力を養成する点に重きを置き、国際舞台において、意見を主張し、又は、交換し得る語学力を持つことを目標とする。その為には、LL教室を活用して徹底した小人数教育を行う。

英語のほかに、独語、仏語、中国語を開講し、いずれか1カ国語を選択必修として履修するものとする(必修8単位)。

なお、外国語科目としてではなく、専門教育科目として開設されているが、2・3年次選択必修科目として、英語、ドイツ語の外書講読演習が開設されており、外国語教育の仕上げ的な意味も備えている。

さらに、外国の諸文化、思想、生活などを理解し、世界的な視野を持つ人格形成に役立つことを目的とする言語圏文化論(英・独・仏・中)(4単位、選択必修)の講座も開設し、外国語教育の充実をはかっている。

(2)専門教育科目体系の特色

専門教育科目の履修には、基礎的な法の理論と実践的問題の究明に重点を置き、講義によって法内容の理解がなされ、演習によって確かめられることを目標とし、さらにその相関関係によって理論のための理論に終わらず、身に付いた実践的な思考として培われる。

カリキュラムは、一般教育科目とのいわゆる楔形履修方式をとる。そのために、1年次から専門教育科目(憲法I、民法総則)を履修できるように配慮した。また、社会の多様なニーズに応じ得るように専門知識を活用するなど幅広い授業科目を開設する。基本法律科目、特に六法では司法試験、公務員(国家、地方)試験に対応して授業科目を豊富にしている。また、公務員志望の学生には税法などを開設する。

企業への就職を志望する学生のためには、経済、経営関連科目が開設されているほか、国際取引法、知的所有権法、経済法などが開設されている。経済法は企業経営及び公正取引等に関する基本科目である。

国際法及び外国法関連科目が充実しているのも、また一つの特徴である。外国法としては英米法、独法、仏法のほか、EC法、中国法、イスラム法(現在未開講)を開設している。また、比較政治学、国際関係論、外交史、地域研究概論などの関連科目は、国際的視野を拡げる役割を担い、国際社会の一員としての自覚を促し、社会の国際化に対応するものを育成することを目的とする。

(3)演習の充実

少人数で行う演習は、学問理論を具体的な事例の中で考察するとともに、発表力、創造力、応用力を培うことを目的とし、本学の最も充実した授業科目である。

a 基礎演習

法学入門のための演習である基礎演習Iでは大学における基本的なテーマにつき、専門教育科目担当教員がそれぞれの立場から学生と共に古典的な基本書を講読、討議する。即ち、各教員の持つそれぞれの専門分野の方法論や基礎知識を学生に指導することを基本として、総合的に柔軟な思考力を養うものである。

基礎演習IIは、専門教育科目担当者による基本法についての導入演習である。法学に関する基本書の読み方、法令・判例検索、文献の収集、評価など法学に必要な基本的事項についての指導を行うとともに、内容の本質を理解させる。

b 研究会

3~4年次の演習は2年次までの専門的知識を応用し、専門分野の問題を深く掘り下げる。法律学、政治学、経営学、情報科学などの各分野について開設し、専門科目担当の専任教員が小人数の学生を対象に、充実した指導を行う。方法は、3年次では基礎的事項の徹底的指導が中心となるが、4年次では発表と討論を中心として、各分野の本質性、固有性を検索する。

c 法学演習・政治学演習

研究会とは別に、自分の専攻のほかに学びたい分野がある場合などに、法学・政治学などの分野についてフレキシブルなテーマ設定で、3年次または4年次の単年度開講され、学生の幅広い学習機会を提供する。

d 教養演習

1・2年次に履修した外国語科目を基礎として、基礎科目の一層の理解を深めるため、外国語教員による演習(3・4年次)、外国法科目、外書講読演習等と併せ履修することで、言語、法、文化の重点的学習を可能とする。

e 外書講読演習

前述のとおり、英語、ドイツ語、フランス語(現在開講していない)の外書講読演習が開設されている。この講読を通して外国専門書の読解力を養うとともに、国際的な視野を拡げることを目的とする。

3 外国語教育--国際化時代への対応

本学の教育の特色の一つに、「国際化への対応」が挙げられ、これに対応して、国際関係論、外交史、地域研究概論といった科目が設けられているが、国際化時代に対応できる基礎は、外国語教育の充実にある。外国人との接触がますます増えてゆく日々の姿を目の前にして、改めて国際化時代における大学の外国語教育は、どのようにあるべきかを考える必要がある。

外国語すなわち英語と考えるとか、外国語がしゃべれると外国語が出来ると早合点する軽率な考えは、ことあらためて誤りと指摘しなくとも、だれしも容易に理解できることであろう。大学生にとって必要な外国語の勉強は、本来大学における学術研究に貢献するべき能力として不可欠のものであり、「外国語ができる」とか「外国語が使いものになる」とかの基準も、この水準を見失ってはならないものであることは当然であろう。学習の手段としての「聞き、話し、読み、書く」能力が、究極の目標としても、その四能力のバランスの取れた姿でまた期待されるのである。

しかし現実の姿は、外国語に弱い日本人、英語の話せない日本人が多いのは事実であり、本学の入学者にも、高校での英語が得意でない者も少なくない。語学に弱い学生を抱えて、大学の外国語の授業を、限られた時間の中で効率よく実施し、いかにして必要な成果を上げるかが、まず大きな課題となって立ち現れる。

かつては大学では、エリートとなるため、まず英語を必修とし、それに第二外国語のドイツ語、フランス語を選択した。時代が変わり、多くの大学進学者を迎える現在においては、1時期に集中して多くの外国語の課程を履修し、ものにすることはかなり困難なので、一カ国語に集中して、その基本的言語能力を身に付け、その上でみずからの意思と努力で、これを発展させるようにと努めてもらうこととしたのである。

これが本学で行われている一外国語の選択必修の制度である。このため始めに地域言語圏文化論(4単位)、その他に当該同一外国語2時間分(2コマで180分)を3セメスターにわたって履修し(2単位×3=6単位)、合計10単位を卒業要件の必修科目としている。英語の場合には、すでに中学・高校での履修を前提に、英語I、II、III、に会話、作文、講読、実用英語を配している。もちろんネイティブスピーカーによる授業も少なからず用意されている。また独語、仏語、中国語では、入門、初級、中級と順次ステップを昇って行くように時間を設定して、容易に単位の習得が可能になるように配置してある。もちろん本学の特色となっている、小人数教育の精神から、外国語の講義、演習に適した小教室で最新の教育機器を駆使して、学生のバランスの取れた外国語能力の育成に努めている。また最近の傾向として、いずれの大学にも見られるように、中国語履修を希望する学生の増加に対しても、別に1クラスを用意して、その希望にこたえ、小人数外国語教育の充実を図っている。

この必修外国語10単位は第2年次までに履修できるように配置され、その上で外書講読演習により、専門学術書を一層深く読み、理解することができるように、そしてまた専門領域の学術研究に役立て得るように、研鑚を深めることができるわけである。もちろんこれは標準の課目配当年次であり、3、4年次においても時間の許す限り履修することも十分考えられることである。

そのうえ、本人が希望すれば、さらに別な外国語も自分の能力と意志に基づいて、研鑽を積むことができるわけであり、学生の多様なニーズには十分対応できるようプログラムは用意されているといえよう。

4 セメスター制--教員、学生の要望に沿って

セメスター制とは、半年を1学期としてこの間に1科目の単位を取得する制度をいう。たとえば、公法入門や私法入門の授業が半年間、週2回(90分コマ×2)にわたって行われ、試験等の成績評価に合格すれば4単位を取得することができる。

セメスター制の構想は、海外の大学との交流が広く一般化していった70年代に発想の源を見ることが出来る。教員、学生の外国大学への留学、帰国留学生の受け入れ、さらに在外教育機関からの帰国子女の編入学など、これらの関係者には好ましい制度と考えられた。しかしそれだけがこの制度を支える主たる理由ではない。講義科目の一部には、短期集中型の授業に適するものもあった。社会のめまぐるしい動きのスピードに合わせようとすれば、1年間にわたって続く講義では間延びすることも考えられる。さらにまた時代の変化の速さも無関係とはいえないし、現代社会をテーマとする場合には、素材の意味が希薄になる場合も考えられる。一方また学生の授業への集中力にも限りが見られるし、学生層の大きな変化も見逃すわけにはいかない。このような大学における学期構成上の必要性と、講義内容、学生の講義への関心の程度などのさまざまな理由によって、セメスター制の長所が挙げられるようになったのである。もちろん反対の意見もかなり聞かれはしたが、現在の日本の大学の停滞した気分を一新するには、この制度を活用してみたいという傾向が次第に高まってきた。したがってこの制度にうまく適応する講座、授業形態にはたいへん効果的であり、授業効果の点で有用性も高いといえる。学生の側から見ても、集中型を好む者には学習効果をあげることと思われる。

要するに時代のテンポに合わせて、短く集中できるものをセメスター制で半期で終了し、次の半期でまた別な講義を新鮮な気持ちで聞きたい、という時代に応じた時間と勉学意欲の活用を願う一方で、科目履修に失敗したのを半期で気が付いて、つまり傷の深くないうちに失地を取り戻しやすいようにとの配慮もあって、半期制のメリットが多くの人により高く評価され、本学においても採用されたのである。

5 昼夜開講制--社会人教育を視野に入れて

開かれた大学のシンボルともなるこの画期的な制度は、もともと大学が単に限られた若い学生層のみを対象とすることなく、むしろこの狭い枠を取り払い、広く実務の世界で活躍する社会人の大学への参加にも、門戸を大きく広げようという目的にそって考えられたものである。

『大学設置の趣旨』の中にも、昼夜開講制の導入による夜間教育・社会人教育を実施する目的を次のように描いている。「千葉県では社会人に対して体系的な法学教育を行い得る大学が無く、東京圏を除いては実質的に学習の機会が奪われている。とりわけ、理工・情報系大学や職業科高校の出身者が、社会活動において体系的な法的知識の取得を必要とするとき、このニーズにこたえる教育機関は皆無といってよい実状において、社会人、あるいはリカレント教育を必要とする者が、… 勤務時間体制の変化や企業の生涯学習への理解、また本人の学習意欲によって、時間を有効に活用し、必要に応じて昼夜何れでも学習しうるために、この制度を採用」(一部省略)したとしている。

確かにこの制度の実施には、むずかしい問題も予想はされた。適切な授業運営、担当教員の負担、事務上の課題などをどのように解決するかである。しかしそれらの問題点を慎重に考慮しつつも、なおこれからの在るべき大学の姿として、「開かれた大学」に最も必要な体制として、この制度が本学に取り入れられたわけである。

かような意図のもとに始められたこの制度は、多くの受講者によって、かなり効果的に活かされているように思われる。大学としては、学生を入学時に「ジェネラル・コース(昼間主)」と「フレキシブル・コース(夜間主)」とに分けているが、厳密に昼と夜を区分してあるわけでなく、履修の主たるコースを夜間の授業を主とする、または昼間を主とするとの考え方である。履修に当たっては厳しい垣根を設けているわけではない。夜間の授業6、7時限目には、昼間と同様の、しかも同一レベルの科目が配置されているので、学生は必要があれば、自分の都合の良いように授業を組み立てることが出来るとして、この制度にメリットを感じる者が多いようである。なかにはアルバイトの都合によってこの制度を利用している学生もいるとのことである。

6 評価と課題

(1)カリキュラム全体について

本学の教育については、前述のように「時代の要求にこたえる実学中心の法学教育」をその特色の一つとした。

およそ法というものが、その時々の現在の実際を規制し、実際を対象とした、極めて実践的な行為規範であることからして、いつの時代でも法学教育が実学中心でなければならないことは、当然の要求である。このような法律ないしは法律学の基本性格は、同じく文科系大学の一般教育科目である文学や哲学、さらには芸術などと大きく異なるところである。

したがって大学における法学教育は、法哲学、法社会学などの純粋理論を主体とする社会科学としての基礎法学とともに、憲法、刑法、民法、商法、刑事・民事訴訟法、の六法を中心に、行政法、労働法、税法、知的所有権法、国際法などの、重要な諸種の現行実定法の解釈論を基礎に、判例や実例の検討、さらには立法論をも考究する、実用的な法律学習が重要な位置を占めることになる。こうした実用法学は、現実の、今日の社会における裁判実務、行政実務、外交実務、企業実務に密着し、活かされていることは言うまでもないところである。

本学は、従来の法学教育に対する批判を十分に考慮して、伝統的な六法の学習を中心とした法学に加えて、多くの実践的な法律科目を配置している。これは末梢的な、細かい法律知識を習得することよりも、基本的な法思考の上に立って、真に身に付いたリーガル・マインドの育成に留意したからに他ならない。本学独自の法学教科目の配置もこの構想に基づくものである。

前述のように「本学の構想する法学部は、法の理念のみでなく、現代社会における現実の必要性に応え、実際的な法的能力を備えた人材を育成することを目標とし、実務と理論の調和の上に立って行う」との基本方針に沿って、「時代の要求にこたえる」、しかも「実学」の精神を見失わない「法学教育の新しい試み」を、『設置の趣旨』において次のように示している。

  1. A:法学基礎教育の充実:
    低学年で基礎演習、中学年で概論講義、高学年で復習的演習
  2. B:現実社会への対応:
    実務家による契約法実務、企業法務実務、知的所有権実務の実際的学習
  3. C:国際化時代の法学教育:
    国際感覚の豊かな人材養成のため、外国語・外国法講座などの充実
  4. D:情報化への対応:
    情報の価値、情報化社会がもたらす諸問題の法的処理能力の養成

このためまず第1年次には、「基礎演習」を必須科目として設置し、高校生にはなじみの薄い、専門的な色彩の強い学問分野である法律学およびその周辺の諸学に、出来るだけはやくなじみ、スムーズに入門してゆけるように配慮した。この「基礎演習」は、きめの細かい指導と学習がなされるように、原則として15人程度の小人数のクラスを単位とする演習形式で行うように設定した。また同様の配慮から、講義形式ではあるが、学生の初歩のレベルに相応した、弾力的な内容を織り込める「公法入門」「私法入門」(いずれも必修科目)「刑法入門」などのような、特色ある入門科目を設定した。これらの科目は、いずれも高校卒業後間もない若い学生に、法学教育への無理のない導入を意図した結果である。また一方、3、4年の高年次においては、同様な演習形式での教科目として、「研究会」(必修)、「法学演習」「政治学演習」などが設けられている。なお2年次、3年次についても、「外国法入門」、「外書講読演習」、および英米・独・仏・中・ECの各外国法(いずれか1科目必修)による外国法科目の強化も配慮されている。
こうした特色あるカリキュラムのもと、担当教授の絶えざる工夫と努力により、すべての法学科目について、所期の目的を十分に達成しているものと自負することが出来よう。これはまたアンケートの結果にも示されていることである。早くも「清和大学の法学教育は、さすがに優れている」という世間の高い評価も耳にする昨今である。

もとより手放しで楽観できない問題点もいくつか見受けられる。たとえば、演習科目においては、図書館の蔵書がまだ不十分のためもあって、学生があらかじめ十分に関係文献を参照して研究をしておくことが出来ず、そのため学生による自発的な研究報告が十分でないばかりでなく、メンバーによる活発な討論や、教師に対する忌憚のない質問の提起なども、十分にはなされていないの場合もみうけられる。

さらに1年次生に対する「基礎演習 」においては困難な問題が少なくない。法律の基礎知識を持っていない1年次生に、法律問題を演習形式で学習させることは、なかなか難しいことである。したがってこの場合には、担当者によっては、やむを得ず講義形式で、一方的に法律の基礎知識や、公法、私法の入門講義をすることにもなり、「公法入門」や「私法入門」その他の講義形式の入門講座と重複することが出てくる。もっとも、繰り返して学ばせることがこの制度の目的でもあるので、その功罪をみるにはなお時間をかける必要がある。かような現状を見るとき、少なくとも法律科目担当教員が行う「基礎演習」は、1年次生向けではなく、2年次生向けのものとして繰り下げるか、または既存の3年、4年次生の「研究会」に吸収し、これに変わって、1年次生には、法律科目担当教員による「法学入門」(仮称)と題した講義形式の講座を新設することを、カリキュラム検討委員会で検討してもらいたいとの意見も聞かれる。

また高年次配当の科目でも、「○○実務」のような、文字どおり実務問題を踏まえた、実学的講義を標榜した法学科目においては、十分に効果をあげているのかという批判もある。それは聴講学生がその基礎となる法律知識すら十分でないため、しかも小人数の演習形式でないこともあって、結局のところは、基礎的な講義をせざるをえないことになり勝ちであるというのである。

さらにまた一方、通常の基礎法律科目の講義においても、法律条文や判例の解釈論を踏まえた上で、実務問題や実例も豊富に取り上げ、まさに実学にふさわしい内容の講義を展開することは、大いに成果を挙げている一方、現状では必ずしも十分とはいえないという批判もある。真に実学の名に値する講義は、何といっても当該の法律実務について、経験の豊かな教員であることが第一に望ましいが、我が国の一般の状況が、まだまだアメリカのような法曹一元化が進んでいない段階において、法律科目の教員の多くが、過去に弁護士なり、裁判官その他の実務経験者でないことであろう。本学においては当初から実務の経験のある教員が多く採用され、そのバランスがとれていると考えられるが、今後とも、この点にいっそうの配慮が望まれる。

次に我が国の大学法学部では、始めから法律の専門家を志さない学生も多く、また法学部卒業生の大部分は、普通の会社の従業員として、一般企業に就職する。したがってこうした多くの学生や、あくまでも公務員試験や司法試験等の受験を志す学生など進路の多様性を考慮し、経済や経営等にも一段と配慮したカリキュラムの改善についても検討する必要があると思われる。

(2)外国語教育

前述のように、外国語教育については、外国語を一カ国語に集中して履修する、一外国語の選択必修制度をとり、英語においては、中学・高校での履修を前提に、英語I、II、IIIで、会話、作文、講読、実用英語を配し、独語、仏語、中国語においては、入門、初級、中級と順次ステップを昇って行くように時間を設定して、容易に単位の修得が可能となるように配置し、小人数教育によって学生のバランスのとれた外国語能力の育成に努めている。

しかし実際に学生がこのプログラム通りに履修しているとは言えない問題の個所もある。

まず第1に学生のグレードの違いがあることである。これは履修する学生の言語能力も、またその学習意欲も同様である。このような違いを持った学生を、可能な限り担当教員は受け入れ、一定の水準にまでその学力を育成しなければならない。かなり困難な仕事であり、出来るだけその目標に近づけるように努力しているというのが現状である。これは中学・高校からの基礎学力に基づくもので、簡単に大学の教室だけで解決できる問題ではないと思われる。これを改善するには、グレードに合った授業形態が最も望ましいのは言うまでもない。しかし現状では、ある程度の能力差、意欲差は越えて行かねばならない課題と思われる。

第2に、高校段階での外国語(英語)の力に対する試験が必要であり、入学試験の段階で、これに対する一定の水準を要求すべきではないかという考え方も強く訴えられている。しかしこの問題は、入学試験と外国語、特に英語の能力との関係であり、入試に英語を課せれば、入学者の英語の力が向上するとは、必ずしも期待できないのではないかと問題視され、入試と英語受験との関連については今後の課題とされているのが現状である。

第3に各外国語授業の時間割配置についてである。セメスター制は履修者にとって、うまく利用すれば、効果をあげるし、一方では、集中授業による負担の増大で、効果をあげない場合も考えられる。適切な授業時間の配置によって、脱落者を少なくするようにするのも、今後の課題として、真剣に取り組まねばならないことであろう。

本項の冒頭にも述べた通り、外国語の十分な履修は、国際化の時代を生きるためには、今後ますます必要の度合いを増してくる。単に日常生活におけるコンピュータの操作のみならず、外国からの情報の適切な理解は当然のことになる。しかしながら大学における外国語の履修には、かような身近な、日常の実利にとどまるものではないことは明らかである。外国文化の吸収と、青年期における人間精神の形成に対する大きな役割も見逃すことはできない。日常生活の実用にとどまらず、外国語の勉学を通して、諸外国の多様な文化、多様な精神との出会いの機会を持つことは、一人の人間の生涯の財産になることであるから、ますますその履修に深い意味を持たせなくてはならないと思われる。本学が外国語教育の充実に特別に配慮しているのも、このような目標を目指しているからに他ならない。

(3)セメスター制

セメスター制の利点は、前述のように、短期集中型の授業に活用することができる点にある。

そのメリットがどのように効果をあげているのか、教員、学生の間でどう受け取られられているかを考えるとき、まずこの制度に対する個人差が大きいことが問題となる。短期集中型にうまく適合する人と、次第に調子を上げて行く晩成型のタイプがあろう。これは教員側にも、学生側にも考えられることである。またこのほかにも、科目の性質上、短期集中型の有利な場合(外国語の履修など)、また時間をかけた晩成型の科目(専門・演習科目)もあるので、それぞれの科目履修の長所を効果的に活用する必要があると思われる。したがって、画一的に半期制にすることに執着しないで、科目に応じて弾力的に適用することがが望ましいのではないだろうか。ここで反省すべきなのは、従来からの、年間を通した授業に慣れた教育体制では、どうしても授業の気分がゆるみがちである。やはり大切なのは、このテンポの速い時代の講義にふさわしく、担当教員が創意工夫を凝らして、緊張感のある、歯切れ良いテンポの授業展開を実施し、より高い授業効果をあげるよう、大いに努力することが必要ではないかと思われる。教員、学生のアンケートを見ても、この傾向が映し出されているのが読み取れよう。

さらにもう一歩この制度を運営する実状を考えてみよう。

大学の講義科目は通常一年間の講義で4単位である。これを半期で履修するとなれば週2コマ(90分授業×2=180分)、それも連続で聞かなければならない。教員の出校の都合もあるのでやむをえないとはいえ、学生にとってかなり負担は重い。授業内容の理解に苦しむ者もいるようである。これが半期2単位なら通年で週一回90分の授業であるから、学生の負担は軽くなるであろうが、それでは短期集中4単位履修が成立しない。

また外国語の履修の場合にもこのような問題が起こりうる。週一回の、連続180分の授業で履修するのはかなりの努力が必要である。特に新しく初歩から学ぶ外国語の場合には、その困難な状況は想像以上のものがあると思われる。教える側にも、学ぶ側にとってもその悩みはかなり深いのではないだろうか。授業内容の斬新な組み立てだけでは必ずしも補えない部分があると思われる。もっともこの外国語の場合には、授業内容を理解できない傷を1年間持ち続ける必要がないので、回復するには都合が良いかもしれない。残念ながら半年毎に外国語の講義が、I II IIIの順序で用意されていない現状では、必ずしもこの制度のメリットが活かされているとはいえないのではないだろうか。

セメスター制を考えるとき、教員、学生の利害を良く考慮して、再検討する機会があっても良いように思われる。

(4)昼夜開講制

元来この制度では、夜間主コースが従来のいわゆる「大学夜間部」ではなく、平等の、しかも昼間と同一の水準の講義がなされているから、本学の「昼夜開講制」は、なかなか評判も良く、履修者には好評のようである。科目等履修生を含め、実社会で立派に活躍する社会人が、再び学問への情熱を燃やして教室に参加する機会を提供するのは、まさに大学と社会の新しい接点となることと思われる。担当教授の評判も、この夜間の授業は負担がかなり大きいが、小人数教育の場ともなって効果をあげていると好評であり、それよりも何よりも、学生の熱意の強さに感嘆の声を寄せている。この制度が教師と学生の間に定着しつつあることを裏付ける評価であろう。

この昼夜開講制の特色は、質的に昼夜の区別を設けず、勤務形態や、家庭状況に応じて、かなり弾力的に授業に出られることであって、しかも単位の認定も、卒業の資格も全く同様に認められることによって、これからの大学の制度として全国的に広がるものと考えられる。

第6章 開かれた大学の門--多様な大学入試

大学がアカデミーとしての本質を持続しつつも、一般社会との接点を次第に増してゆく傾向はますます強まり、かつてのような象牙の塔を誇る時代ではなくなった。大学の門戸開放はまさに時代の大きな流れとなっている。高校からの大学志願者も年毎に増すとともに、また大学に求める要求も多様化している。一方また青年のみを対象とした大学の講座も、社会の変容に対応するため、一般社会人の参加を可能にし、実社会での経験をベースに再度学習・研究を深めたいとの要望も強まっている。さらにまた、安定した成熟社会における多様な課題を解決する一端としても、生涯学習への一般市民の希望も強まり、社会人枠による入学制度に関心が高まってきている。

清和大学ではこのような若い学生、一般社会人の入学のチャンスを、多様な要望に沿って満たすため、次のような入学試験を行い、勉学の意志のある者に門戸を大きく開いて、その要望にこたえようとしている。なお、(□)内の数字は、平成12年度入学試験期日で、毎年同じ頃入試が行われる。

  1. 公募制推薦入学試験(高校卒業生)(平成11年11月14日)
  2. 般選抜入学試験(大学入学資格を有する者)
    (平成12年2月2日、2月22日、3月15日)
  3. 大学入試センター試験による選抜入学試験(平成12年1月15~16日)
  4. 一般社会人を対象とした特別枠の入学試験(平成12年3月15日)
  5. 短大等からの編入学試験
    指定校推薦(平成11年11月14日)
    自己推薦(平成12年2月22日)
    企業等推薦(平成12年3月15日)
  6. 科目等履修生、聴講生に対する講座の開放(随時)
    (おもに年間の時期的な流れに基づいて列記したものである。)
1 推薦入学試験(高校卒業生)

近年とくに重視されるようになったこの入試には、学校長推薦と自己推薦があるが、本学では現在のところ学校長推薦のみを行っている。入試としては、小論文と面接による選抜を行い、指定校推薦の制度は実験的に試みている段階である。また準指定校・および学園併設校からの推薦入試も、日本の大学進学問題の大きな流れの中で模索している段階である(ここまで、1998年時点)。(現時点では、既に実施している。定員は、併設校推薦入試ジェネラル・コース(昼間主コース)12名、フレキシブル・コース(夜間主コース)3名、指定校推薦入試ジェネラル・コース(昼間主コース)12名、フレキシブル・コース(夜間主コース)5名である。)

推薦入試による高校生の受け入れの趣旨は、偏差値による受験競争からの解放であり、若者の個性を明るく伸ばす創造性を育成することであると思われる。本来は、学校長からの推薦生徒を可能な限り受け入れることが望ましいが、数に限りがあるので、希望通りにはいかないのが現状である。生徒の二股受験も少なくないし、また入学辞退者もかなり見受けられる。また中には選抜の基準となる「優秀な成績」に不十分な生徒もときに見受けられ、高校側のこの制度に対する姿勢に疑問を抱くこともある。さらにまた受験生に小論文試験を課することによって、偏差値教育では計れない学力のテストに、十分にこたえられない者もいるようである。送り出す側も、また受け入れる側も、ともに相互信頼の上にこの制度は成り立つのであるから、この入試制度を有効に活性化するためには、ますます相互の情報をオープンにして、若い学生の創造的能力を発展させるべきものと思われる。

清和大学では全国の高校から受験学生を受け入れているが、千葉県、東京都、神奈川県、埼玉県、茨城県、栃木県といった首都圏の高校からの応募が多いのも当然と思われる。しかし今後は多数の入学者を送り出している高校からの推薦だけに限らず、全国各地の個性的な教育を行っている高校から、優秀な学生を受け入れる事ができるよう考慮すべきであろう。

現在のところ数倍の応募者の中から選抜しているが、大学としても近く推薦入学者への追跡調査を行って、この制度による受入れ学生の本学における伸び方を確認し、これをもとに全国の高校に受験を呼びかけるべきであろう。

全国の大学に次第に増加して行く自己推薦入学の制度は、いわゆる「一芸入試」とも違う点もあり、本学としても今後の課題のテーマと考えられる。

2 一般選抜入学試験(大学入学資格を有する者)

一般入試の問題点としては、受験の時期、受験生の人数、それに試験科目がまず問題になろう。清和大学は1994年に開学した。戦後のベビーブームもとうに終わって、これから少子化社会が始まろうという時期に大学が設立されたわけである。すでに大学の設立に対しても危険を訴える声が世間にあがっていた。まず当面の学生数の確保にも心配の声が寄せられていた。しかしながら、当初は関係者の絶大な努力により、入学定員190名に対して3,000人近い受験生が集まり、開学期にはまずまずの順調な滑り出しであった。しかし、全国的な傾向として、学齢者数の減少の流れは年を経る毎に強まり、本学においても、開学以来、受験者は減少の一途をたどっている。高校卒業生の絶対数が減少しているとはいえ、受験者減少の流れは学生の学力低下、研究意欲への影響も考えられ、本学のイメージ向上のためにも、受験者への関心を高めなくてはならないであろう。一般に大学のイメージと受験者数との関連は、かなり密接なものが有りそうだが、清和大学も新たな発展のためにも、いっそうの内容の充実が必要になろう。受験者数のために大学の発展が望まれるのではなく、新しい大学の魅力が受験者数の向上につながるのは当然のことと思われる。

受験科目も課題の一つと考えられる。当初は国語、英語から1科目、社会(日本史、世界史、政治経済、地理)から1科目を選択する、合計2科目選択ということであった。受験生に負担の多い英語受験に、必ずしも拘らないという姿勢から、このような試験科目になったのである。しかし英語受験者が極めて少ないのは、予想されたこととはいえ、さまざまな影響が見られた。つまり英語の不得意な学生が多いということであり、入学後の英語の履修に影響を及ぼすこととなった。英語履修者の減少と、英語履修者の語学水準の低さとなって現れたのである。これはまた中国語履修の流れにも影響を及ぼし、入学後の学生の履修傾向と無関係ではなかった。一部には受験生の英語能力を高めるため、他大学の行うように、英語受験を必修にするべきであるとの声も上がっている。しかし、受験英語の弊害については、大学外でさまざまに多く論じられる現在、入試英語を取りやめる他大学の動きも加わる中で、この問題は慎重に流れを見極め、十分な論議を経て決めるべきであろうかと思われる。現在のところでは、2科目選択の体制で一般入試を行っているが、今しばらくは、受験生の反応を注意深く検討してみなくてはいけないのではないだろうか。

入試の時期については、各大学の試験期を考慮して、2月初めに設定している。同様の傾向、同種の学部を持つ大学との競合をできるだけ避けるよう入試委員が検討した結果である。

なお本学の一般選抜入試では、昼間主コースをA日程の時期に,夜間主コースをC日程の時期に設定し、それぞれ定員枠を定めているが、両者は入試時期とコースによる履修方法のほかは全く相違はない。

3 大学入試センター試験による選抜入学試験

本学の校舎を、センター試験の会場として使用してもらっている。まだ一定数が定着するまでにはいたっていないようである。センター試験のみでの受験、またはセンター試験+小論文、のいずれかを受験生本人が選択受験の上、選抜されるこの制度には、さらにに多くの受験生が関心を持ってもらいたいと考えている。センター入試を利用する私立大学の飛躍的増加の傾向からも、優秀な受験生の応募が期待できると思われる。

4 一般社会人を対象とした特別枠の入学試験

開かれた大学の精神に基づき、一定の人数枠を用意し、実務に就いている社会人に大学での研究を深める機会を提供しているが、大学の近隣市町村、企業から参加を希望する人もあり、今後は次第に関心が高まるものと思われる。

5 短大等からの編入学試験

開学当初から理解を得られるようにと努力しているが、大学の存在自体も社会に十分に浸透していないこともあり、また入学の条件を厳しく設定したことも重なって、現在までのところは、少数にとどまっている。これに対しては、受験生の関心を高めるよう努力し、また一部条件の緩和も行い、自己推薦制も取り入れて、多様な学生の応募を期待している。しかし、短大等の学生数の減少もすでに早くから言われていることでもあり、一挙に事態の解決というわけにはいかないであろう。さらにまたいわゆる編入学の場合に問題になるのは、他大学等における既習科目の問題があるし、2年編入なのか、3年編入なのかによって、受け入れ方法も複雑で微妙な問題も少なくない。特に本学のように法学系の大学の場合には、コース自体が限定されているので、残りの在学期間で必修科目を履修できるかとのおそれも生じてくる。現状では2年編入のケースが多い。

6 科目等履修生、聴講生に対する講座の開放

現在までのところ少数ながら毎年確実に参加者の増加をみている。教師、公務員、家庭婦人などそれぞれの持ち場での体験をもとに、極めて熱心な受講態度で授業に参加している。これは若い学生にも大きな刺激であり、学ぶ意義を改めて考えさせる貴重な存在となっている。

ちなみに、平成10年度志願者は6名9科目で、うち大卒者4名(3名は本学の卒業生)であり、卒業後の学修機会を与えるものとなっている。

開かれた大学を目指す本学の入試制度は、各項目で現状を報告しているように、次第に一般社会における理解を得て、定着してゆくようである。しかし一般的傾向として、少子化による学生数の減少は、全国的な大きな流れであり、ますます優秀な学生の確保が重要な課題となっている。そのための受験科目、期日、枠組み、定員枠の比率の検討など、入試担当者の努力がますます大きな課題となっている。

本学の入試定着率は比較的良好であるが、しかし応募者は確実に下降線をたどっている。前年比75-80%の現実に、改めて注目しなければならないと思う。交通環境の改善により、国際都市としての交流も深まるなかで、今後は帰国子女の入試も考えて良いのではないだろうか。

第8章 図書館

大学における研究・教育の核心となるのは図書館の充実であることは改めて論ずるまでもない。校舎の建設は誰にも出来るとしても、充実した専門研究・学術書と有能な教授陣を揃えるのは容易なことではないと欧米の大学関係者は漏らしている。清和大学の場合もこの困難を乗り越えて、大学の本来の使命を果たさなければならないわけである。現状ではこの大目標に向かって努力し、論議を深めている図書館委員会の要望に対し、真剣に耳をかすべきではないかと考えられる。

大学図書館は、大学における学術研究・教育を支える重要な基盤であり、一次情報の収集、提供等による情報サービスを行う機関として役割を果たしている。特に人文・社会科学分野においては、研究における図書の比重は大きなものがあり、図書館の重要性が認識されているところである。

このような中、学術審議会の答申(「21世紀を展望した学術研究の総合的推進方策について」平成4年7月)でも明らかなように、学術研究基盤整備の重要項目の一つとして、学術研究情報流通体制の整備を取り上げ、学内LANの整備、大学図書館の機能の強化・高度化とデータベースの充実等を推進することが求められている。

さらに「大学図書館における電子図書館的機能の充実・強化」が緊要なこととして学術審議会から文部大臣に建議として提出(平成8年7月)され、各大学にも送付されている。ここでは、近時CD-ROMやネットワーク(インターネット)の出現・普及を背景に、情報検索支援機能の強化と同時に、情報発信活動の支援が必要であると指摘している。

以上の点を考慮し本学図書館の現状を点検してみると、次の問題点が明らかになった。

書庫について
  1. 本学図書館の専有面積は、505平方メートルである。県内大学図書館の現況や国立大学図書館における全体面積の算定法を参考にすると、12,10平方メートルは必要なことがわかる。事実、現有の図書館では、計算上の収容可能冊数は40,000冊となっているが、実際には30,000冊弱の現在で限界に達している。しかも、すでに重複資料や未登録資料を別置し、箱詰めにしている状況である。このままでは、別置の資料が増えることになり、所蔵していながら実際には利用に供することができないものが増えることになる。また、そのような環境にあっては、資料の劣化は急速に進むものと思われる。
  2. 法学部図書館として、当然所蔵すべき基本的資料で未購入のものが多数あるが、図書選定に当たっても配架場所が確保できないような、大部の資料は購入を断念せざるを得ない状況である。学内の需要に応じた情報資源の拡充に努めるためにも、書庫の増築が必要である。
  3. 教員よりの寄贈の申し出が度々あるが、現状では、それを配架する場所、登録するまでの一時保管場所もない。そのため残念ながらすべて遠慮していただいている状況である。
  4. 今後定年を迎えた教員の研究室から、研究費で購入した本を図書館に管理替えする必要がでてくるが、それを受け入れる場所的な余裕がない。
機械化について
  1. 利用者に対して検索端末が著しく不足している状態である。しかも学内蔵書検索用端末(OPAC)とCD-ROMによる情報検索端末を兼用で使用してるため、時間帯によって利用者が集中することがある。それぞれを複数台用意する必要がある。
    さらにCD-ROM検索については、CDサーバー方式を採用することが望ましい。これにより1枚のCD-ROMを、同時に複数の端末から検索することが可能になる。また学内LANを構築し、研究室からの検索をも可能にする必要がある。
  2. 現在インターネットは急速に広がりをみせており、個人や企業からこれを利用した情報発信が各種行われている。本学においても、図書館でこれらの検索ができる体制を整える必要がある。
    また図書館のホームページを開設し、蔵書目録(OPAC)や新着案内・図書館報などの情報をインターネット上に公開したい。
その他
  1. 生涯学習が叫ばれる中で、地域の文化的な中心として、大学がその教育研究機能の活用を通じて地域社会へ貢献することが期待されている。大学図書館を社会へ対して開放する要請も、今後いっそう高まってくると思われる。
    開館時間の延長や日曜開館等、教育研究機能に支障を来さない範囲で生涯学習を支援するために円滑な受け入れのための要員の確保と、サービス機能の拡充につながる施設の整備を進める必要がある。
  2. 開館当初から、法律図書館の経験者が不在のまま現在に至っている。また上述の機械化の整備を進めていくために、さらに今後も急速に進歩する情報技術に対応していくために、情報処理の専門知識をも合わせ持つ職員の確保が必要である。

以上の観点から、図書館の充実を計るために書庫の増築、ならびに機能の強化に向けた諸設備の整理と人員の確保が早急に必要であるといえる。

また、従来の蔵書収集の割合は、教員の研究用図書に属するものが比較的多かったという指摘があり、上記のように現状では限られたスペースであり、かつ絶対量も十分でないところから、早期に学生の学習環境を整える要請があるので、研究用図書と学生用図書との適正なバランスが望まれるところである。

今後も図書館委員会の建設的な論議を生かせるような環境を育成してゆきたいと思う。

第10章 地域社会への貢献

本学では、法律学の修得を目指す社会人を幅広く受け入れると同時に、地域社会と活発な交流を図り、学術研究成果を広く社会に還元するために、一般市民を対象とした各種の講座を開設している。

ひとつは集中講義を一般に開放しており、平成10年度の場合には以下の科目が行われた。

国際関係入門~国際政治の中の日本外交~
池井優 本学客員教授
家族法~結婚・離婚・遺産相続のあるべき姿を目指して~
小野幸二 本学非常勤講師
契約法実務~社会生活に必要な契約実務の基本を習得~
高橋達朗 本学非常勤講師
環境保護法~公害規制法制と環境保全法制の検証~
大村泰樹 本学非常勤講師
会社法実務~とくに株式会社の理論と実際~
津嶋齋 本学非常勤講師
もうひとつは、木更津市教育委員会の企画による「生涯学習市民公開講座」であり、現在木更津市の居住者または、市内に職場を持つ人に対して無料で公開されており、申込者数で約100名、常時出席者数で70~80名が参加している。

添付資料に、これまで開催された講座を挙げた。

また別に、学外での活動としては、君津郡市広域市町村圏事務組合の主催する講座に、本学専任教員より講師を派遣して、各市の職員への学習の機会提供に協力していることが挙げられる。

第11章 清和大学発展のための課題

大学が独自のスクールカラーを持って、我が国の研究と教育に一石を投ずる資料となることの使命を実現するため、大学自身による自己点検を必要とすることは、前章までにおいて個別の問題を取り扱い、期待と現実の姿について、可能な限り客観的に報告してきた。しかし大学が、本学園の理念とする「真心教育」の精神を支えにして、さらに大きくはばたき、発展するためには、全学共通の問題とすべき視点が、数多く存在することは当然のことであろう。優秀な学生の確保といった一例を取り上げても、カリキュラムの改正、入試科目の改善、就職指導の徹底など、部分的問題として捉えるのでなく、全体の関連の中で課題の本質を把握し、総合的な視点のもと、問題の本質に対処しなくてはならないだろう。このような観点から、課題となるテーマを取り上げ、今後の改善の方向を考える資料となることを期待したい。

1 新世紀にふさわしい大学院や新しい学部・学科の設置

「豪華な教授陣をそろえた」との評判も聞かれるようであるが、今後も清和大学がさまざまな形で充実し、発展するためには、やはりこの現有スタッフを生かして、大学院や新しい学部・学科を設置し、学生層の多様化が必要ではなかろうか。もちろんこの問題は、経済的にも、また大学政策の上でも課題となることが多く、しかも現在の社会状況のもとで実現するかというと、思案すべき問題点も少なくないと思われる。しかしながら、これからの社会は、国際化や情報化によって、高学歴化への趨勢を進めることが必至であり、大学院の存在はいよいよ重みを増してくることも疑いのないところである。また、我が国の学校教育の歴史を顧みるとき、複数学科、複数学部によって、大学は発展して来たのである。社会に定着する方向もまたこれによって得られることであろう。一大総合大学の夢はしばらく措くとしても、まずは清和大学の法学部にも、大学院を設置し、関連した学部・学科を設けることが早急に検討されなければならない。

2 絶え間なきカリキュラムの検討と教育方法の改善

これまでたびたび触れてきたように、1991年の大学審議会答申により、大学設置基準の大綱化の影響下、既存の各大学が従来のカリキュラムの見直しを迫られたのに対して、本学は設立段階において、同答申の内容を充足するさまざまな新制度を導入した。カリキュラムについても一応同様であるといってよい。しかし、現状において全く問題が無いわけではないこと勿論であり、現今の変化の著しい社会情勢に対応して、恒常的にカリキュラムを検討することもまた、本学の標榜する実学教育にとっては欠くことができないことであろう。

他方、少人数教育を実践する本学の教育方法は、従来ともすればマスプロ化への強い傾向を見せてきた既存の大学の教育方法とは自ずと異なると考えられるが、教員・学生とも必ずしもそれに慣れていない面もあり、確信を持った方法論にまで至っているとは断言できない。この点、教員の質の向上を含めて、一層の研究と改善が求められよう。

3 優秀な学生を確保し、社会に貢献する大学をめざす

大学にとって優秀な学生をいかに確保するかは、まさにアカデミーの死命を制する大問題である。全日本の各大学がこの問題で、真剣に競い合っている中で、われわれとして何をなすべきかが問われている。このため考えられることは、学生募集の方法の拡充であろう。門戸を広げ、多様な学生を迎え入れて、学園の活性化を図るため、推薦入学および系列校とのパイプをしっかりと確保することも課題となるであろう。このほか、一般入試の試験についても、この観点から、慎重に検討する必要があると思われる。またさらに「学生にとって魅力ある大学」を目指すことは、必ずしも学生の人気に振り回されるわけでなく、時代の流れを的確に捉えて、これに対応し、学生のニーズにこたえることが大切なことではないだろうか。学科増設の問題もこの観点からなされるべきであろうと思われる。単に学生を増やすだけではなく、若い学生の心を満たす、しかも時代の求める新学科、ないしは新学部が期待されることになろう。ただ単に、もっと華やかな雰囲気が学園にほしいといった、ムード的な願望であってはならない。さらに新しい世紀における我が国の活躍を展望する中で、本学学生の就職指導の基本方針をどのように設定するかも極めて重要な課題となるであろう。本学の地理的特色、研究分野の独自性を十分考慮して、就職状況を本学の魅力の一端に加えられるよう努力しなければならないと考える。

4 地域に貢献するための教育活動の拡大

(公開講座、講師派遣、公的職務への参加)

本学の開学の経緯でも触れたように、本学は地元千葉県、木更津市、および周辺市町村の強い要望に支えられて設立された、地域との密着度の高い大学であるという特徴を有する。現代の大学に求められているのは、単に学生の教育のみならず、生涯教育をはじめとする社会人教育、また、地域における文化の中枢となることであり、他方、教員には研究活動に加えて、その成果を社会に還元するさまざまな公的職務(審議会等)への参加もまた重要な使命であると考えられる。

本学は上述のように公開講座をはじめ積極的に地域に貢献するための活動に取り組んできたが、この姿勢は今後ますます期待され、また意義深いものであり、一層の努力が必要であろう。

あとがき

自己点検委員会報告書の規範とするモデルはない。それどころか、自己点検委員会そのものの活動に関する標準モデルも、また無いのである。委員会が設置されてからすでに何年もたつが、まだこれといった規範となる型も生まれてこない。まさに手探りの活動を始めたといってよい。まず何をなすべきか、というテーマから取りかかり、その報告書をどのようにまとめるか、の方法にさ迷い、思い悩む時間だけが止まることなく流れていった。

手元にはいくつかの大学の出した報告書が目に留まる。あるものは足に落とすと怪我をするような分厚い冊子、いや巨大な本となって、大学の長い歴史、建学の精神から、現在の改革の目論見、進行の具合のほか、全専任教員の経歴から業績まで詳しく記載している。これを読むうちに我が身と比べて圧倒されてしまう。あるものは、改革計画を詳細に展望した上で、学生のアンケート報告を分類して、詳しく記載したのもある。またあるものは、全教職員の経歴と研究報告のみをもって、報告書としているのもある。さらになかには、ガリ版ならぬコピーをホッチキス止めで簡単にまとめたのもあるかと思えば、また大大学となると、各学部、大学院、研究所などにわたって、詳細な改革計画を綿密に展開しているのもある。まさに重厚な学術研究機関にふさわしい報告書となっているのもある。

これらを目の前にして、私どもも途方に暮れてしまう。小所帯の小大学で、しかも3人の点検委員によるこの委員会として、どのように点検活動を行い、どのようにそれを報告書としてまとめるべきか。

また一方、身の回りにもさまざまな期待と怖れをもって、自己点検委員の活動を見守る人もいる。ある人は自己の抱く平常の不満の代弁者になってもらいたいし、自ら手を汚さずに改革を我が思いのままにと望む人もいるだろうし、時には自己点検委員会の調査を勤務評定に使われてはかなわない、と敬遠する考えも潜むだろうし、人によっては、愚痴と不平の発散機関とも思って、時々思い出したように身の回りの注文をしたりする。ある人はすべてを否定して、かくあるべしを連呼する場合もあり得るし、一方改革の行方をゆっくり拝見したりする人もいるようである。

このようなほとんど無限に近い、さまざまな願いと要求と、そしてまた改革の夢を思うとき、全部の最大公約数を得ることはとても出来るものではない。これに気が付くと、一人一人が、自分のために、他者のために、そしてより良き大学のために自己点検を行い、自己点検の、そして自己評価の報告書を書けば良いのじゃないかと考えたら、ずっと気持ちも楽になった。

こうして出来上がったのがこの報告書である。一人一人、また一つ一つのテーマにも、異論があることは十分考えられる。多様な自己点検の大海に投じられた一石とお考え頂ければ幸いである。

この報告書の作成に当たっては、多くのかたがたの忌憚ないご意見と、心温まるご協力を得た。これらのかたがたの、大学の明日を思う熱い情熱なしには、本報告書は成立できなかったと思う。ここに深く感謝する次第である。中でも松井教授、林教授にはご担当部署に就いて、詳細な資料と助言をいただいた。その誠意あふれるご協力にも厚く御礼を申し上げたい。

2000年1月